中田がペルージャからローマに移籍する年に出た
Nunber の別冊に〈 塩野七生、サッカーを語る。〉という記事があって
その中の “ Cattiveria ” についてのくだりに心酔したのですが
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塩野先生は、
好きなサッカー選手は誰かという質問に
当時、ボバン、マンチーニ、
バティストゥータの3人を挙げ
この3人に共通すること、
それがこの Cattiveria だと
いっています。

この Cattiveria(カッティヴェリア)
というイタリア語は

 日本語には 悪意 と訳すしかない言葉ですが、単なる悪意ではない。
 言い換えれば窮極の自己中心主義で、自分のためにプレイしているの
 だけれど結果はチームのためになるというやり方。チームの利益にな
 るか否かには関係なく自分のためのみを考えるという、利己主義とは
 まったく違うのです。

だそうで。
Buon Giocatore(いい選手)の中田が、
Fuoriclasse(一流選手)になるためには
この Cattiveria を学ばなければならない と当時語っていたんです。

その後、ローマを優勝させ、パルマ、ボローニャ、フィオレンティーナ、
プレミアのボルトンと渡り歩いた中田は
最終的に Cattiveria に満ちた Fuoriclasse になれたのでしょうか。。。
バロンドールに3回名前が上がったんですから
それは Fuoriclasse ってこと、ですよね。

話は変わりますが
実は昔から サポーター という言葉にすこし抵抗がありまして
どちらかというと 応援団 の方がしっくりくるんすよね。世代的に。
好きなクラブも、選手も、もちろん日本代表も心底応援してんですが、
サポーターか って聞かれると、ちょっと考えてしまいます。

やっぱ、日本人は 応援 でいーんじゃないかなぁ。

重松清の応援団小説「あすなろ三三七拍子」の中に

asunaro337 応援とは‥‥

 相手に勝て とか 
 自分に負けるな というメッセージを
 選手に届けることではなく
 あなたたちの奮闘を
 ここでしっかりみてるぞ と伝えること 

 というようなくだりがあって。


次のパラグアイ戦に勝ったら歴史が変わります。

代表選手の奮闘をここからしっかり見てますよ。私は。
そんでもって、日本サッカーの未来のために
Cattiveria に満ちた応援をしますよ、私は。

なんつって。